日本での一番の楽しみは友人に会う事。私には2歳の時から遊んでいる幼なじみがいる。お互いの家族もよく知っているので、姉妹のいない私には姉のような存在だ。彼女が20日だけ早く生まれたので、双子の姉みたいな。。。(子供の頃はよくお揃いの服を着ていた。)今年は久々に彼女の誕生日に会い、鎌倉へ。横浜に住んでいた事もあって、鎌倉は学生時代からよく行っていた。歳を重ねた今、また違う味がある。昨年も北鎌倉を訪れ、紫陽花の明月院などを散策した。歴史のあるものは悠久の時を感じさせ、ゆったりとした気分になる。今どきの店も増えていたけど、個性のある小さな店が多く面白い。どこに行っても同じチェーン店ばかりでつまらない世の中なので、鎌倉だけは変わらないでほしい。
変わらないものといえば、、、NHKの大河ドラマ「軍師官兵衛」を2回ほど見た。感情が揺さぶられるテーマ音楽が素晴らしい!ドラマは暗いのに、音楽で感動的に盛り上げていて。そして官兵衛の父親役、柴田恭兵を久し振りに拝見。今でも渋くて格好よかった。。。 実家の本棚にAntoine de Saint-Exuperyの「星の王子さま (The Little Prince)」の本を見つけ、思わず手に取った。少し前までNYのMorgan Libraryで原作を公開していたのに、見逃してしまったのだ。前にも読んだ事があったけど、読み始めたら止まらなくなってしまった。兄が小学校入学時に誰かから贈られたもの。何十年もきれいなまま本棚にある。しかしこれはどう考えても大人向けの本だと思う。いや、大人にならなければ絶対に理解できない。「本当に大切なものは目に見えない。」「言葉は誤解のもと」といった胸に響くフレーズ。このピュアな物語が、1942年の戦時下に書かれたという事にはホントに驚く。Saint-Exuperyは物語の通り言葉に惑わされる事なく、心で世の中の大切なものを見て生きた人なのだろう。それが出来ればどんな状況になっても人に流されず、自分の心で判断して生きて行けるに違いない。 「言葉は誤解のもと」というフレーズで、日本行きの飛行機で見た2本の映画を思い出した。以前からお気に入りの「冷静と情熱のあいだ」(2001)とパリが舞台の「Before Sunset」(2004)。「Before Sunrise」(1995)の続編だ。どちらも別れた後、約10年に渡って会えないまま惹かれ合う恋物語だ。 一人の人を忘れられない、、、そんな出会いによって人生が変わってしまう。長い時を経て再会した時、想いを寄せる2人の会話には「言葉は誤解のもと」がたくさん詰まっている。「事実」を語っても「本心」や「自分の希望したもの」ではなかったり、聞く方に「偏見」があったり。誤解なく言葉で真実を伝えるのは本当に難しい。ましてや強く想いを寄せる相手には。。。そこには恐怖があるから。自分だけ想っていたのでは?という想い。傷つきたくない。そしてまた強がって、誤解へと繋がっていく。 言葉は誤解も生むけれど、本当に欲しいものや必要なものがあったら、想いを伝える勇気を持たなければならない。相手にきちんと伝わるまで、、、映画はそんな事を教えてくれる。何もしなければ傷つかない。でも、終わらす事もできない。結局一生忘れられず、人生まで狂ってしまうのだから。。。「Before Midnight」(2013)という続編もある。是非見てみようと思った。 最後に、、、今回の日本滞在は「心と言葉」を強く感じた10日間だった。今、最も関心のある事だからかもしれない、、、自分自身、10年とは言わないが、たった一言をずっと伝えられずにいる。ブログも言葉。英語で微妙な気持ちを伝える自信がないので、日本語で続ける事にした。始める直前まで、ブログは性格的に有り得なかった。心の中を見せるのが苦手だったから、、、ある出来事で少し変わった。自分を受け入れられるようになって。。。 音楽のパフォーマンスも作曲も、自分の感情や心を全てさらけ出して初めていい演奏になる。ある意味、ブログは心を見せるパフォーマンスの練習でもある。「誤解」が生じないよう、出来るだけ本心を素直に言葉にしていきたい。 11ヶ月振りの日本滞在。渡米して10年にもなると、ほぼ毎年帰国はしているものの、かなり緊張する。まるで旅行者のように慣れるまでに数日かかる。そしてそれは貴重な時間。その間にしか味わうことのできない「新鮮な日本」を思いっきり楽しむ。それにしても、毎回驚きがあるからホントに面白い。自分の精神状態等によるところも大きいだろうけど、今回は「よくしゃべる日本」にかなりビックリした。
数年前帰国した時、「何でこの人達は挨拶もしないんだろ?」と思っていた。アメリカでは店のレジなどでは必ず「Hi, how are you?」と会話が始まるから。。。滞在中の実家が横浜市内で、どちらかというと都会なので、愛想が良くなかったのかもしれない。スーパーやデパートに買い物に行けば、早さや効率だけがマニュアル化され、人間味のない状況。私の質問に機械のように繰り返し同じ事を言うだけで、全く答えになっていなかった。応用力の無さに国の将来にまで危機感を覚えたぐらいだ。それが今の日本は少し違う。よくしゃべる。しかも店員さんから話しかけてくる。お金を払って物を手にするまでに、何も話さないでは帰れない。それも企業のマニュアルの一部だろうけど、お客さんの返答はまちまちなので、それに対する応え方や会話力などは最終的に個人の力量になる。昨年はあまり気づかなかったけど、あの震災後に人とのふれあいを大切にする人々が増え、助け合いや声を掛ける事が定着したのかもしれない。それに加え景気がちょっと上向きだからか、笑顔が増えたような気がする。久々に明るい日本を感じて思わず顔がほころんだ。 帰国後5日間、五月晴れの日が続いていたが、夜中から大雨になった。朝、ザーッという途切れない大きな雨音。何時間も続いている。日本らしい気合の入った雨の降り方で、ちょっと懐かしい。NYでこんなに降ったら、すでに地下鉄でトラブルが起きているだろう。梅雨に生まれたせいか、雨音を聴くと心が落ち着く。雨と灰色の空を見ると自然と意識が心の奥に向かい、心から湧き出てくる何かを黙々と形にしたくなる。雨が心にも浸み込んで、そこから何かが生まれてくる感じ。私の場合、毎日同じように晴れている場所にいたら、何も創れないだろうな。。。 一昨日は久し振りに自分のピアノを弾いた。誰も使わないピアノは、最初、変な共鳴音を出す。30分も弾いていると、少しずつ馴染んできてピッチも整い、音がきれいに響くようになってきた。まるで油がまわった機械のよう。昔より鍵盤が軽く感じる。子供の頃好きだった楽譜を本棚の奥から取り出して弾いてみる。センチメンタルな旋律が心にしみて涙が出そうになる。。。10代初めにこんなメロディに触れさせてもらった事に、両親とピアノの先生に改めて感謝した。世界の有名な作曲家はもちろんだが、私のお気に入りは「湯山昭」さん。久々に開いたスコア。ジャズっぽいリズムやハーモニー、無調な感覚の曲、クロマティックなメロディー。あの頃魅せられた新鮮なメロディーとの出会いが思い出され、知らず知らずの間に湯山氏の音楽が自分に与えた影響の大きさに気づいた。今、私が目指したい音に近い。こんな立派なものは書けないにしても、私の原点の一部である事に間違いない。そして、ずっと考えていた自作曲のアイデアが固まった。NYに帰ったら、スコアにしよう。。。 実家でピアノを弾く時はいつも、亡き母に捧げて弾く。生前、入院中の母は「またピアノをやったら?」と私のピアノを恋しがっていた。あまり上手くもないのに、、、今でも母の好きなショパンのワルツは美しく弾けない。「それでもいい。」と言っていた。「少しぐらい間違えても、生の演奏は心に響くのよ。だからあなたも音楽を、ピアノをまたやった方がいい。折角あそこまで弾けるようになったんだから。」と。。。その後、夜に練習できるように電子ピアノを買ってまもなく、母は逝った。退院できなかった母に二度と聴かせる事はなかったけど、私が演奏する時はいつも聴いているような気がしてる。いや、絶対聴いている。昔、台所で毎日私の練習を聴きながら夕飯を作っていたように。 今回の帰国で、もう一つ久し振りのものに出会った。大相撲。いつもやっているわけではないので、帰国と重なったのは初めてだと思う。子供の頃から相撲ファンだったけど、取り組みが段々つまらなくなった上に、八百長や賭博騒ぎですっかり興味が薄れていた。今回、スポーツ好きの父の横で期待も無くテレビを見ていたら、以前の迫力が戻っている!立会いの一瞬に懸ける緊張感が何とも言えない。真剣さが一番一番伝わってきて、、、両国国技館の観客の嬉しそうな顔。ここでも以前より元気な日本を実感した。 スポーツは音楽に似てる。その時のパフォーマンスに集中する事。無になることの大切さ。二度と同じパフォーマンスはないライブの面白さ。日々の地道な練習。優れたスポーツ選手の肉体や動きは音楽のように美しい。力士さんもただ太っているだけではなくて、本当にすごい筋力で、、、高校生の時そう言ったら、友達から変な女の子に思われたけど、美しいものは美しい。今回千秋楽までじっくり優勝争いを観戦できるのが嬉しい!子供の頃好きだったものって、大人になっても変わらないんだなーと思う。無邪気に見入ってしまう。惹かれるものに理由なんてない。幾つになってもそういう子供の心を持ち続けたい。それにしても稀勢の里って力士は歌舞伎のような顔をしている。。。まるで目の周りにアイラインを入れているかのような勇ましいツリ目。優勝はどうかな。。。 1週間前、私はパリにいた。”April in Paris” 4月になって恋も仕事も思うようにいかず、気分転換したくて、いや、何か自分に挑戦したくて、突然思い立った。2年前のロンドンといい、最近1、2週間前に決めて飛んで行く事が多い。少しの時間を見つけて旅行するのはかな刺激的だ。仕事も忙しくて準備不足だけど、気ままに何とかなるのが一人旅のよさ。そして新しい価値観にふれ、たった数日で人生が変わる程の影響を受ける。。。
今回は観光というより、建物の美しさや街のセンスに見せられて、ただ歩いていた。ルーブル美術館、シャンゼリゼ通り、凱旋門、エッフェル塔、モンマルトルの丘、ノートルダム、マレ地区、サンジェルマン・デ・プレ。そしてその途中にあるセーヌ河。河沿いを歩いている時、頭の中をずっと”Casta Diva” というオペラのアリアが流れてた。。。Chromaticなフレーズがしなやかなセーヌの流れに乗ってどこまでも流れていく。このサイトにアップしているAve Mariaやサン・サーンス、ドビュッシーの曲もこの雰囲気の中を風のように通り抜けて行く感じがする。そう、私の求めている音も、この雰囲気に合う気がした。 今までジャズを歌いながら、なぜかNYの空気にしっくりこなくて違和感を感じていた。それで自分の歌を”ジャズ”と呼ぶのをやめた。ジャンルなんて意味がない。何かに強制的に合わせるのではなく、感じる音をそのまま表現したかった。それでもずっと居心地が悪かった。。。それがセーヌ河の前では、突然全て受け入れられるかのような気がして。。。私の歌が自然に街に吸収され、水のように浸透して行く。石畳の小道や公園にも、、、もしかしたら、ここが自分の音楽の居場所なのかもしれない!と感じた。 思えば最初から”セーヌ河に行かなければ!”と、まるで何かに導かれるかのように引き付けられていた。こんな答えが待っているとは思いもよらずに。。。そして河は心の真ん中にある血管のように、しっかりと私の中を流れ出した。いつもじっと聴いてくれる母のような安心感。私の音のイメージはイーストリバーとエンパイアではなくて、セーヌとエッフェルだったんだ。このサイトに意味もなく選んだエッフェル塔の写真。これも私に方向を示してくれていた。。。本当に不思議だけど、NYに来てから、見えない大きな力に守られているのを時々感じる。ガーディアン・エンジェルみたいな。。。 音楽はその土地の風土や文化から生まれるものだと思っていた。音楽そのものが居場所を求める事に、なんで気づかなかったんだろう。私自身、生まれた日本が合わなくて居場所を求めてNYに来た。だから音楽だって不思議な事ではなかった。多分、考え方とか魂が居心地のいい場所。昔、芸術家達もパリに集っていた。あの街はそういう場所なんだ。人は成長し変わるものだから、ずっと同じ場所が居心地がいいわけではないと思う。でもしばらくは”Paris"だと思った。 |
AuthorA singer songwriter, settled in NYC. She loves music, sports, food and travel! Archives
January 2016
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