忙しい1ヶ月だった。少なくとも1ヶ月に1度はブログを書くと決めたのに、6月は怒濤のごとく過ぎていった。言い訳になるが、サッカーも一つの理由。ブラジルということもあって、NYは時差が1時間のため、いい時間に試合を見れた。日本のコートジボワールとの初戦は、友人に誘われ、日本人が集まるバーに行って観戦した。一度こんな事してみたかったのだが、、、NYにこんなに日本人がいるんだ!と感心したものの、混み合うバーでずっと立ち見というのはかなりの疲労で、ゲームにも集中できない。何かが違う??と感じていたが、「みんな若いんだ」(多分、大学生?)という事に最後に気づき、その後のゲームは家か日本人の集まらないバーでゆっくり観戦する事にした。
日本は散々だったけど、世界レベルのサッカーは超エキサイティング。スピード、スタミナ、アグレッシブさがまるで違う。最近、日本の選手も海外のビックチームで活躍しているのに、どうしてこんなに違うのだろう。。。素人の私が言うのも何だが、彼らのサッカーは教科書って感じがした。頭でっかち。日本の典型的なパターンだ。理論とか練習とかで学んだ事を必死にやろうとしてるのは分かるのだが、、、頭で動いている。これはスポーツだけじゃなくて、仕事も音楽も全く同じだから分かる。最近、日本人の個人技術は向上しているから、絶対互角に戦えるはずなのに、どうしても力が劣る。チームになった時にそういう事が多い。環境や相手が変わっても、どうしてもセオリーをもとに動いてしまう。応用が効かないというか、想定と状況が全く違っているのに気づく事が出来ない。または気づいても教科書通りにしか動けない。もっと本能とかを大事にすべきなんだと思う。その場に合わせた行動や演奏。セオリー通りにやるための技術ではなく、その瞬間を感じ取り呼応する能力。セオリーが通用しない場なら、潔く捨てるしかない。日本人組織に多いこの現象。一人がリードしても着いてこれる者がいないのだろう。「日本らしいサッカーが出来なかった。」と誰かが書いていたが、そのコメントにこそ問題があると思う。「日本らしいサッカー」、まさにそれが手にしていた教科書だ。ゲームに勝つ事より先に、日本らしいサッカーをする事に頭がいってしまった。目的は勝つ事。きれいにパスを回す事ではない。その戦術が通らないのなら、他の事をするしかないのに、、、ゴールではなく、丁寧にパスを出す事ばかりに頭がいっていたように思う。 スタミナ、、、他の国の選手達は延長になってもよく走り、よく動いていた。全くスピードの遅さを感じない。なのに日本は後半にはかなり遅かった。ラテン系のチームは体は小さいし、体格の事は言い訳にならないだろう。トレーニングで体力をつけるしかないのではないか。4年後、期待したい。 NYは移民が多いので、毎試合、母国を応援する人々で盛り上がっていた。メキシコ、ブラジル、コロンビア、ギリシャ、、、彼らと何度、サッカーの話をした事だろう。特にオフィスのお掃除に来るコロンビア出身のマリアとは、毎日話してた。(コロンビアのジェームスは4年後が楽しみ。)アメリカはスポーツバーだけでなく、多くのレストランにはTVがあって、どこに入ってもスポーツ観戦出来る。だから知らない人と話す事になる。スポーツで世界が一つになれるって、やっぱり素晴らしい!アメリカではワールドカップはあまりメジャーではないけれど、今年はかなりの視聴率。人気が上がって来たようだ。アメリカは何でも強く、一つぐらい弱いものがあっていいと思うから、あまり強くならない事を願う(笑)。 それにしてもブラジル、リオデジャネイロ。15年前くらいに行ったあのビーチ。旅した中で最も好きな街の一つだった。一度暮らしてみたい!あの自由な空気、、、イパネマ、、、また行きたい!(あの時もみんな仕事中なのにサッカー聴いてた。。。)ブラジル人にとってボサノバは古い音楽になっているけど、イパネマのビーチを歩いた時、まさにボサノバの発祥地と思った。。。空気、風、優しい雰囲気、、、音楽はその風土から生まれるものだと感じた場所だった。 このサッカーの熱狂の間、ウィンブルドンもあり、花火あり、スタッテン島やコンサート行ったり、本当に週末は忙しかった。テニスは私の一番好きなスポーツ。昔テニスをやってたから、、、やっぱり4大大会ははずせない。久々のフェデラーとジョコビッチ。均衡した緊張感のあるいい試合だった。フェデラーがあそこまでやるとは本当にびっくりしたけど、また頑張ってほしい。何と言っても貴公子のように美しいテニスだから。それにしてもABCテレビ、生で放映しないのはふざけてる。やっぱりライブで全部カット無しで放送してほしい。 今年は独立記念日の花火は控え目。近所のアストリアパークで楽しんで。このパークの花火はイーストリバーから上がる。こじんまりしてるけど、歩いていけるし、場所取りも難しくないので嬉しい限り。それでもパークまで行ったのは初めてだった。家のそばから見えたから。。。でも近づくと大きさが違う。一年に一回は花火見ないと、、、夏好きなので、どうしても色んな事をやりたくなってしまう。梅雨が無い分、日本より1ヶ月は早く楽しめるが、もっと長ければいいのにと思う。 そして最後に自分の音楽。先週、作曲して、、、自由なアイデアや感性を表現し、自分を出し切ったら、欲求不満が満たされ心が落ち着いた。やっと歌に集中できそう。今年後半、ライブが出来るように準備を始めた。やっぱり私はシンガーで、最後にここに、真の自分の場所に自然と戻ってくるから面白い。でも今回は少し違う。心を自由に解き放った私。歌も少し変わった。いいものを作れるよう、頑張ってみようと思う。そう、ここでもIntuitionを信じて。あと1ヶ月、私の大好きな夏を心ゆくまで楽しみながら、、、 Bang On A Canというフリーコンサートへ行った。(6月22日。もう一ヶ月も前の事)ファイナンシャルセンターのWinter Garden。その前日、友人にたまたま誘われ、特に予定がなかったので夕方から出かけた。いつもは大のフリーコンサート好きなのだが、これはContemporary Musicのコンサート。自分には理解できないだろうと期待もしてなかった。ちょっと見てみようぐらいな気分で、、、ところが会場に着いた途端、ステージから聴こえてくる音にすっかりハマってしまった。ここ最近、一番衝撃を受けたコンサートと言ってもいい。何と言っても迫力というかエネルギーに溢れていて、体中にパワーがみなぎっていく感じ。Composerも素晴らしいが、パフォーマーが活き活きしていて楽しそう。「一緒にステージで演奏したい!」とライブパフォーマンス嫌いの私が思ったほど。
実はNYの大学で音楽を学んでいた時、コンテンポラリーを演奏するのは好きな方だった。苦手なものもあったけれど、歌っている時はリズムや変わったフレーズに夢中になるほど。他の音楽とは違う不思議な満足感で脳が満たされていく感覚だ。しかし卒業後、現代音楽のコーラスグループに入ったりしたものの、仕事との両立で時間の制約の中、広い範囲に渡っていた興味を一つに集約せざるを得なかった。やはり技術的にも難しく、練習時間が無かった。色々削ってシンプルな歌とピアノだけになった。気づいたら何年もコンテンポラリーを聴く事すらなくなっていた。昨年久々に聴いた時、脳が変則的なリズムにも着いていけず、全く分からなくなっていた。ただ呆然。何度か聴いたら慣れてはくるものの、初めて聴く曲には自信がなかった。だから今回もきっと楽しめないと思ったのに! 一瞬で心を掴まれた。いや、激しく、衝撃的に打ちのめされた。驚きのあまり目を大きく見開いて、体が動かないくらい、、、音楽やアートは心の栄養剤。ずっと与えず、久々に聴いたりすると、ものすごい勢いで心が吸収していく時がある。まるで断食していたかのように、心が研ぎすまされて、全ての細かい音もみんな心に刻まれ、体の奥底を強くかき回される。ぐいーっと持って行かれる感触。そんな時、体が衝撃で動けなくなる。ライブだったからかもしれない。目の前での熱い演奏。同じ空間で音楽を共有するってことが、今まで以上に意味のあるものに感じた瞬間だった。そして驚く事に、ずっとライブパフォーマンスを避けていた私が、突然、「同じ空気の中で同じ音楽に包まれて、自分の声を空気にのせてオーディエンスに届けられたら素敵だな。」なんて思ったのだ。 私の音楽の目的は心の癒しだった。病床の母が音楽を聴いて心を穏やかにしていた。どんな言葉も役に立たなかった。ただその時間を費やすもの、、、静かで美しい音楽だけが母の心を支えていた。その事が私を音楽へ導いた大きな理由の一つだ。だから静かで美しい、強すぎない音楽を作ろうと思っていた。そしてシンプルで分かりやすい音楽に向かって行った。ただ、自分の中から出てくる音楽は時々全く別の様相をしていて、奇抜だったり、エネルギーがありすぎて困っていた。心にあるものは無視出来ない。何か相容れない。 あの日、数々の自由で力のある音楽を聴いて、私は不思議な強い力をもらった。そして私の心は解き放たれた。自由な世界へ、大空へ羽ばたくように。そう、音楽は病気や弱った人を癒すだけではないのだ。健康な人にだって勇気や更なるパワーを与えてくれる。天国から母が「もういいよ。あなたの好きな物を自由に作りなさい。」と言ってる気がした。この日から私の音楽は自由なものへと変わった。私自身も自由になった。そして熱い興奮が音楽に対するある決意をさせた。 |
AuthorA singer songwriter, settled in NYC. She loves music, sports, food and travel! Archives
January 2016
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