Bang On A Canというフリーコンサートへ行った。(6月22日。もう一ヶ月も前の事)ファイナンシャルセンターのWinter Garden。その前日、友人にたまたま誘われ、特に予定がなかったので夕方から出かけた。いつもは大のフリーコンサート好きなのだが、これはContemporary Musicのコンサート。自分には理解できないだろうと期待もしてなかった。ちょっと見てみようぐらいな気分で、、、ところが会場に着いた途端、ステージから聴こえてくる音にすっかりハマってしまった。ここ最近、一番衝撃を受けたコンサートと言ってもいい。何と言っても迫力というかエネルギーに溢れていて、体中にパワーがみなぎっていく感じ。Composerも素晴らしいが、パフォーマーが活き活きしていて楽しそう。「一緒にステージで演奏したい!」とライブパフォーマンス嫌いの私が思ったほど。
実はNYの大学で音楽を学んでいた時、コンテンポラリーを演奏するのは好きな方だった。苦手なものもあったけれど、歌っている時はリズムや変わったフレーズに夢中になるほど。他の音楽とは違う不思議な満足感で脳が満たされていく感覚だ。しかし卒業後、現代音楽のコーラスグループに入ったりしたものの、仕事との両立で時間の制約の中、広い範囲に渡っていた興味を一つに集約せざるを得なかった。やはり技術的にも難しく、練習時間が無かった。色々削ってシンプルな歌とピアノだけになった。気づいたら何年もコンテンポラリーを聴く事すらなくなっていた。昨年久々に聴いた時、脳が変則的なリズムにも着いていけず、全く分からなくなっていた。ただ呆然。何度か聴いたら慣れてはくるものの、初めて聴く曲には自信がなかった。だから今回もきっと楽しめないと思ったのに! 一瞬で心を掴まれた。いや、激しく、衝撃的に打ちのめされた。驚きのあまり目を大きく見開いて、体が動かないくらい、、、音楽やアートは心の栄養剤。ずっと与えず、久々に聴いたりすると、ものすごい勢いで心が吸収していく時がある。まるで断食していたかのように、心が研ぎすまされて、全ての細かい音もみんな心に刻まれ、体の奥底を強くかき回される。ぐいーっと持って行かれる感触。そんな時、体が衝撃で動けなくなる。ライブだったからかもしれない。目の前での熱い演奏。同じ空間で音楽を共有するってことが、今まで以上に意味のあるものに感じた瞬間だった。そして驚く事に、ずっとライブパフォーマンスを避けていた私が、突然、「同じ空気の中で同じ音楽に包まれて、自分の声を空気にのせてオーディエンスに届けられたら素敵だな。」なんて思ったのだ。 私の音楽の目的は心の癒しだった。病床の母が音楽を聴いて心を穏やかにしていた。どんな言葉も役に立たなかった。ただその時間を費やすもの、、、静かで美しい音楽だけが母の心を支えていた。その事が私を音楽へ導いた大きな理由の一つだ。だから静かで美しい、強すぎない音楽を作ろうと思っていた。そしてシンプルで分かりやすい音楽に向かって行った。ただ、自分の中から出てくる音楽は時々全く別の様相をしていて、奇抜だったり、エネルギーがありすぎて困っていた。心にあるものは無視出来ない。何か相容れない。 あの日、数々の自由で力のある音楽を聴いて、私は不思議な強い力をもらった。そして私の心は解き放たれた。自由な世界へ、大空へ羽ばたくように。そう、音楽は病気や弱った人を癒すだけではないのだ。健康な人にだって勇気や更なるパワーを与えてくれる。天国から母が「もういいよ。あなたの好きな物を自由に作りなさい。」と言ってる気がした。この日から私の音楽は自由なものへと変わった。私自身も自由になった。そして熱い興奮が音楽に対するある決意をさせた。 Comments are closed.
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AuthorA singer songwriter, settled in NYC. She loves music, sports, food and travel! Archives
January 2016
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