NYに住んでいた頃、ほぼ毎日のように生演奏を聴いていた。ミュージシャンの目の前で、響わたる音を体中に感じる。大学の授業や練習室、小さなライブハウスからオペラのような大ホール。そして公園で吹いているサックス、、、当たり前に音楽があった。
日本に帰国してから、しばらく音楽から離れていた。なんと言えばいいか分からないのだが、エネルギーが枯渇したというか、燃え尽き症候群?かなー。いや、怖かった。歌うのが怖くなって。「NY」に勝手にプレッシャーを感じていたのだと思う。それでも時々クラシックの歌を歌ったり、不思議と以前よりいい声がでたりして思わぬ光明があったり。いつか必ず歌おうと思ってはいたけど、、、 2020年の年初め、私はみなとみらいのカフェに座って、ようやく「今年こそは!」と思っていた。爽やかな風が吹く気持ちの良い日、でもすぐ近くに停泊する大型客船では、コロナ感染が確認され乗客が隔離さていた。まさかあの後、世界中を覆い尽くし、こんな事になるなんて思いもしないで。。。 あれから私は、かなりの引き篭もり生活をしていた。心だけは歌への強い決心を固めて。こんな世界になってしまった時、心が叫んだのだ。「歌いたい。」と。。。人生で二度目だった。歌ってないと自分になれないのだ。歌ってないと私は完成品にならない。何年間も偽って暮らしていると、心の奥底からマグマが噴火してしまう。 2021年の秋、やっとコロナ感染が少なくなった時、今までの想いを吹き飛ばすように劇場へ足を運んだ。オペラ、ジャズ、クラシック。。。今までになく、音の波動が体を揺らし音が心に沁みてくる。まるで乾いた土に水が浸透していくように。楽しげな趣味のおじさんの演奏でも、音が踊っている。生の演奏がこんなに心を震わすものだったとは。。。幸せな気分に自然と笑顔がこぼれた。 ニューヨークの日々、音が溢れるあの日々はどんなに贅沢なものだったのだろうか。12年いて、空気のように麻痺してた。それでも、あそこに住み続けたい理由は一つだった。一生、最高の音楽が聴けること。今もそう思っている。新しいブロードウェイの作品を心待ちにする気持ちとか、今年のオペラは何?とか。深夜まで聴くジャズとか。思い立ったらすぐに聴きに行ける。 でもこのコロナ禍で、そこまでの環境にいなくても、生の音は心を揺らせるという事を知った。20年前、1年近く入院していた母が、病院でお医者様達が弾いてくれたピアノに涙したと手紙に書いて送ってきた。「あなたもまたピアノをやりなさい。」と。あの時母が感じた音。人生の終わりを覚悟しながら過ごす入院生活で、どれほど心に染み入ったことだろう。やっと少し気持ちが理解できたのではないかと思う。 あの時、母には私のピアノを聞かせる事はできなかった。でもそれが母の遺言と信じ、ピアノではなく、もともと好きだった歌をあらためて学んだ。シャイな性格が邪魔をして、ステージに立つまでにかなりの時間を要したが、今あらたに思う。生の音を伝える事が私のやりたい事だと。。心の琴線に触れる音楽を歌い、その場にいる人々と音楽に包まれる体験をしていきたい。 Comments are closed.
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April 2022
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