11ヶ月振りの日本滞在。渡米して10年にもなると、ほぼ毎年帰国はしているものの、かなり緊張する。まるで旅行者のように慣れるまでに数日かかる。そしてそれは貴重な時間。その間にしか味わうことのできない「新鮮な日本」を思いっきり楽しむ。それにしても、毎回驚きがあるからホントに面白い。自分の精神状態等によるところも大きいだろうけど、今回は「よくしゃべる日本」にかなりビックリした。
数年前帰国した時、「何でこの人達は挨拶もしないんだろ?」と思っていた。アメリカでは店のレジなどでは必ず「Hi, how are you?」と会話が始まるから。。。滞在中の実家が横浜市内で、どちらかというと都会なので、愛想が良くなかったのかもしれない。スーパーやデパートに買い物に行けば、早さや効率だけがマニュアル化され、人間味のない状況。私の質問に機械のように繰り返し同じ事を言うだけで、全く答えになっていなかった。応用力の無さに国の将来にまで危機感を覚えたぐらいだ。それが今の日本は少し違う。よくしゃべる。しかも店員さんから話しかけてくる。お金を払って物を手にするまでに、何も話さないでは帰れない。それも企業のマニュアルの一部だろうけど、お客さんの返答はまちまちなので、それに対する応え方や会話力などは最終的に個人の力量になる。昨年はあまり気づかなかったけど、あの震災後に人とのふれあいを大切にする人々が増え、助け合いや声を掛ける事が定着したのかもしれない。それに加え景気がちょっと上向きだからか、笑顔が増えたような気がする。久々に明るい日本を感じて思わず顔がほころんだ。 帰国後5日間、五月晴れの日が続いていたが、夜中から大雨になった。朝、ザーッという途切れない大きな雨音。何時間も続いている。日本らしい気合の入った雨の降り方で、ちょっと懐かしい。NYでこんなに降ったら、すでに地下鉄でトラブルが起きているだろう。梅雨に生まれたせいか、雨音を聴くと心が落ち着く。雨と灰色の空を見ると自然と意識が心の奥に向かい、心から湧き出てくる何かを黙々と形にしたくなる。雨が心にも浸み込んで、そこから何かが生まれてくる感じ。私の場合、毎日同じように晴れている場所にいたら、何も創れないだろうな。。。 一昨日は久し振りに自分のピアノを弾いた。誰も使わないピアノは、最初、変な共鳴音を出す。30分も弾いていると、少しずつ馴染んできてピッチも整い、音がきれいに響くようになってきた。まるで油がまわった機械のよう。昔より鍵盤が軽く感じる。子供の頃好きだった楽譜を本棚の奥から取り出して弾いてみる。センチメンタルな旋律が心にしみて涙が出そうになる。。。10代初めにこんなメロディに触れさせてもらった事に、両親とピアノの先生に改めて感謝した。世界の有名な作曲家はもちろんだが、私のお気に入りは「湯山昭」さん。久々に開いたスコア。ジャズっぽいリズムやハーモニー、無調な感覚の曲、クロマティックなメロディー。あの頃魅せられた新鮮なメロディーとの出会いが思い出され、知らず知らずの間に湯山氏の音楽が自分に与えた影響の大きさに気づいた。今、私が目指したい音に近い。こんな立派なものは書けないにしても、私の原点の一部である事に間違いない。そして、ずっと考えていた自作曲のアイデアが固まった。NYに帰ったら、スコアにしよう。。。 実家でピアノを弾く時はいつも、亡き母に捧げて弾く。生前、入院中の母は「またピアノをやったら?」と私のピアノを恋しがっていた。あまり上手くもないのに、、、今でも母の好きなショパンのワルツは美しく弾けない。「それでもいい。」と言っていた。「少しぐらい間違えても、生の演奏は心に響くのよ。だからあなたも音楽を、ピアノをまたやった方がいい。折角あそこまで弾けるようになったんだから。」と。。。その後、夜に練習できるように電子ピアノを買ってまもなく、母は逝った。退院できなかった母に二度と聴かせる事はなかったけど、私が演奏する時はいつも聴いているような気がしてる。いや、絶対聴いている。昔、台所で毎日私の練習を聴きながら夕飯を作っていたように。 今回の帰国で、もう一つ久し振りのものに出会った。大相撲。いつもやっているわけではないので、帰国と重なったのは初めてだと思う。子供の頃から相撲ファンだったけど、取り組みが段々つまらなくなった上に、八百長や賭博騒ぎですっかり興味が薄れていた。今回、スポーツ好きの父の横で期待も無くテレビを見ていたら、以前の迫力が戻っている!立会いの一瞬に懸ける緊張感が何とも言えない。真剣さが一番一番伝わってきて、、、両国国技館の観客の嬉しそうな顔。ここでも以前より元気な日本を実感した。 スポーツは音楽に似てる。その時のパフォーマンスに集中する事。無になることの大切さ。二度と同じパフォーマンスはないライブの面白さ。日々の地道な練習。優れたスポーツ選手の肉体や動きは音楽のように美しい。力士さんもただ太っているだけではなくて、本当にすごい筋力で、、、高校生の時そう言ったら、友達から変な女の子に思われたけど、美しいものは美しい。今回千秋楽までじっくり優勝争いを観戦できるのが嬉しい!子供の頃好きだったものって、大人になっても変わらないんだなーと思う。無邪気に見入ってしまう。惹かれるものに理由なんてない。幾つになってもそういう子供の心を持ち続けたい。それにしても稀勢の里って力士は歌舞伎のような顔をしている。。。まるで目の周りにアイラインを入れているかのような勇ましいツリ目。優勝はどうかな。。。 1週間前、私はパリにいた。”April in Paris” 4月になって恋も仕事も思うようにいかず、気分転換したくて、いや、何か自分に挑戦したくて、突然思い立った。2年前のロンドンといい、最近1、2週間前に決めて飛んで行く事が多い。少しの時間を見つけて旅行するのはかな刺激的だ。仕事も忙しくて準備不足だけど、気ままに何とかなるのが一人旅のよさ。そして新しい価値観にふれ、たった数日で人生が変わる程の影響を受ける。。。
今回は観光というより、建物の美しさや街のセンスに見せられて、ただ歩いていた。ルーブル美術館、シャンゼリゼ通り、凱旋門、エッフェル塔、モンマルトルの丘、ノートルダム、マレ地区、サンジェルマン・デ・プレ。そしてその途中にあるセーヌ河。河沿いを歩いている時、頭の中をずっと”Casta Diva” というオペラのアリアが流れてた。。。Chromaticなフレーズがしなやかなセーヌの流れに乗ってどこまでも流れていく。このサイトにアップしているAve Mariaやサン・サーンス、ドビュッシーの曲もこの雰囲気の中を風のように通り抜けて行く感じがする。そう、私の求めている音も、この雰囲気に合う気がした。 今までジャズを歌いながら、なぜかNYの空気にしっくりこなくて違和感を感じていた。それで自分の歌を”ジャズ”と呼ぶのをやめた。ジャンルなんて意味がない。何かに強制的に合わせるのではなく、感じる音をそのまま表現したかった。それでもずっと居心地が悪かった。。。それがセーヌ河の前では、突然全て受け入れられるかのような気がして。。。私の歌が自然に街に吸収され、水のように浸透して行く。石畳の小道や公園にも、、、もしかしたら、ここが自分の音楽の居場所なのかもしれない!と感じた。 思えば最初から”セーヌ河に行かなければ!”と、まるで何かに導かれるかのように引き付けられていた。こんな答えが待っているとは思いもよらずに。。。そして河は心の真ん中にある血管のように、しっかりと私の中を流れ出した。いつもじっと聴いてくれる母のような安心感。私の音のイメージはイーストリバーとエンパイアではなくて、セーヌとエッフェルだったんだ。このサイトに意味もなく選んだエッフェル塔の写真。これも私に方向を示してくれていた。。。本当に不思議だけど、NYに来てから、見えない大きな力に守られているのを時々感じる。ガーディアン・エンジェルみたいな。。。 音楽はその土地の風土や文化から生まれるものだと思っていた。音楽そのものが居場所を求める事に、なんで気づかなかったんだろう。私自身、生まれた日本が合わなくて居場所を求めてNYに来た。だから音楽だって不思議な事ではなかった。多分、考え方とか魂が居心地のいい場所。昔、芸術家達もパリに集っていた。あの街はそういう場所なんだ。人は成長し変わるものだから、ずっと同じ場所が居心地がいいわけではないと思う。でもしばらくは”Paris"だと思った。 やっとNYにも春がきた。私の一番好きな季節。いつも来る時は一気にくる。桜もまだまだと思ってたら、もう満開になっていた。木々の花も咲き乱れ、一週間前まで厚いダウンのコートを着ていたのが嘘のよう。グレーの街がまるでキャンバスのように色づいていく。柔らかな日差しの中で、その変化を眺めているのが好き。まるで好きな人に会ったかのように、ときめいてしまう。優しい春の空気に包まれながら、ボーッとこの短い季節の美しさにみとれる。仕事帰りに花を見ながら夜の散歩。隣の駅まで歩いたり。。。そして新緑が木々から現れる時、自然の生命力に圧倒される。長い冬の後に必ず訪れる春。冬があるから春が美しい。人生に重ねて感じ入る。
先日、そんな陽気に誘われ、久々にセントラルパークを歩いていたらテナー•サックスの音色が聴こえてきた。"Satin Doll"のメロディーが風に乗って流れてくる。思わず音の方向に歩く。年配の黒人のおじさんが吹いていた。味のある演奏。サックスの音って、野外で一番きれいに聴こえる気がする。広い空間を波を打って遠くまでゆっくり飛んで行く。ロマンティックな音と心地良いスイング。小さな子供が演奏に合わせて踊ってる。シングルが無かったので、奮発して5ドルもチップを入れてしまった。いい演奏を聴くと音楽をやってる者として、リスペクトせずにはいられない。 今日は地元のアストリアパークへ。プチ自然を感じられる癒しの場所。イーストリバーが目の前にうねっていて、セントラルパークより好き。大きな船がゆうゆうと通ったり、リスが走り回ったり、景色に動きがあって面白い。そこで五感を研ぎ澄まし、季節を感じ、心に刺激を与え、音楽で表現する。自分の心の奥にあるものを感じる事。散歩していたら歌のアイデアが浮かんできた。大都市に住んでいるからこそ、少しの自然や季節感、静かなゆったりした時間を大切に思うのかもしれない。もちろんたまには本物の雄大な大自然も満喫しに行きたいけど。。。 今日がスタートということで、まずは日本語で、、、
ひな祭り、、、そしてあと1週間で311。あの時、ミュージシャンとして未熟な私は何もできず。あれから、その想いを込めて一曲作りました。「風–Kaze」 何年もかかってやっとこぎつけたもの。犠牲者のご家族の方の力になれればと思って作った曲ですが、完成までに、自分の長年の苦悩を乗り越えるきっかけともなりました。助けるという気持ちで初めた事が、結局自分に戻ってきて、支えられてしまう。そんな不思議な気持ちになった曲です。 911の後に曲ができ、311の後に歌詞をつけました。力強いサポートを得て、素敵なアレンジがつき、12年半の時を経てようやく形になった曲です。誰か一人でも、聴いてもらえれば本当に嬉しいです。 何があっても夢と希望を持って生きて行くこと。。。それがどんなに小さな事でも、必ず道を切り開いてくれるから。目に見えない程の小さな一歩でも、自分を信じて前に進むこと。そして人を愛すること。。。 どこにいても、そんな気持ちを忘れずに生きていければ、きっと幸せでいられるはず。NYは特にそんな事を実感させてくれる街です。そして、私が感じた何かをここに残していければと思います。 by Taeko Ota |
AuthorA singer songwriter, settled in NYC. She loves music, sports, food and travel! Archives
January 2016
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